知っていますか?
近い未来、この世には終末が訪れようとしています。
ただその終末は、神に決められたものではなく、人間が自らの行いの結果として招いてしまうのです。
産業革命以降、消費することを生業とした人間の行動が、地球という環境を通して人間自身を滅ぼしてしまうのである。
原則として、現代社会において人間は生まれながらにして、みな罪人なのです。
これは多くの宗教書に記されている事実です。
なぜなら人間の生き方が、万物を一方的にかつ過剰に搾取することでしか、成り立たないからです。
食料や資源といった、本来は地球の中で、無限の循環の中で成り立っている万物を破壊する行為なんです。
それらの破壊行為を繰り返すことで、人間という種の体内には『カルバン』という罪の塊が内在するようになりました。
体内に内包する『カルバン』は、嫉妬や憤怒といった他者に向けられる、負の感情と共に体外へ排出されます。
その際に、感情を向けられた相手は、排出された『カルバン』を呼吸と共に吞み込んでしまいます。
再び体内に取り込まれたカルバンは、元々のそれと結合することによって、両者を合わせた時よりも大きなものに増大してしまいます。それにより、人間の中のカルバンの量はどんどんと大きくなっていくのです。
そして、人間の体内で飽和状態となったカルバンは、次に大気中にどんどんと溜まっていくこととなります。
そして近代社会では、この『カルバン』の排出量は、以前と比較にならない程の量になっていることが明らかになっているのです。
今、世界中の経済活動や工業生産により、そのカルバンが加速度的に増えて暴走しています。
暴走した大気中のカルバンは、熱運動により大気中の気温の上昇をもたらします。
それにより、極地の氷床が融解し海面を上昇させることになり、世界中の生態系に大きな悪影響を及ぼしてしまっているのです。
さらに人間の体内に溜まり続ける『カルバン』も、大きな問題として考えねなければなりません。
人間の負の感情から生まれたカルドが増え続けることで、周囲の人間の思考にも影響を与えてしまう事となります。
最も顕著な症状として、寛容さが欠如が挙げられます。
自分たちの主義主張が全てであり、他の考えを受け入れられなくなる。
それこそが、世界中の紛争の原因となっているのです。
経済中心の現代社会は、消費することを根底としてしか成り立ちません。
その人間社会の在り方自体が罪なのです。
このままでは、地球は致命的な傷を負う事となってしまいます。
そして人間はその代償として、滅びの道を歩むこととなるのです。
人類はそれを回避する為の行動をとらなければなりません。
それは我々の生き方を原点にかえす事、万物の無限の循環の一部としての生活を取り戻すことなのです。
全てのモノはこの世の中で循環させ生き続けなければなりません。
人間が当たり前のように行ってしまっている三つの行為
- 『貯蓄』モノを貯める事
- 『消費』モノを使い捨てる事
- 『廃棄』モノを捨てる事
これらを戒めることが必要なのです。
しかしこれには段階が必要です。
無理な目標を掲げ、実現できなかったでは済まされないのです。
先述の通り、これらの破壊行為は、既に当たり前の行為として社会に根付いてしまっているのです。
まずは皆で問題を自覚していきましょう。
そして、必要以上に貯める事、過剰に消費する事、無駄に棄てる事を、なくしていかなければならないのです。
まず、第一に考えるべきは食糧です。
食事は『貯蓄』『消費』『廃棄』の全てに繋がる最重要な要素です。
そして最も難しいことは、食事でさえも、他の生き物の命を奪うべきではないということ。
これは一見不可能に思えます。
菜食主義の人でさえ、植物の命は奪っています。
しかし不可能ではないのです。
食べ物を他から奪うのではなく、分け与えてもらえばいいのです。
例えば、野菜なら葉の一部や根の一部。
それらを丁寧に採取すれば、植物はまた生き続けます。他にも花粉や花弁、他にも種を除いた果実も命を奪わず分けてもらえる食物となりえます。
そして、それは決して植物に限る事ではないのです。
哺乳類のミルク。
そして、そこから加工するバターやチーズも命を奪う訳ではありません。
勿論、本来はその種の子供に与えられるものであるので、取り過ぎてはいけません。あくまで、余剰分を頂くのです。
そして第二にはエネルギーや資源です。
まず限られた資源である石油や天然ガス、そして鉱物などの地下天然資源は、これ以上一切使ってはいけません。
これは、ウランを利用した永久発電システムも同様です。ただ、現代社会には電気エネルギーが必要不可欠です。
この発電に用いる手法としては、太陽光・風力・地熱を主とした再生可能な自然エネルギーでなければなりません。
これらの手法では必要な電力量の安定供給は難しいと言う人もいます。
しかし足りなければ、足るように生きればいいのです。
それで満足することが必要なのです。
鉱物資源などをはじめとした他の資源に関しても同様に。
もうこれ以上採掘してはいけません。
許されるのは、過去の人間が、罪深くも使ってしまった数えきれない程の資源を、再利用させて頂くことだけでです。
私たちにできることは、その罪をこれ以上増やさないことです。
衣料品や家電などの工業製品、そして建築物。
これらを製造する場合は、限られた原料を再生させ続け、使い続けなければならないのです。
何度も言いますが、最も重要な事は、万物を循環することができる社会を営むことです。
それだけが、唯一地球を救う道であり、人類に残された希望なのです。
これを実現させるには、一人でも多くの協力が必要です。
最終的には、人類すべてがこの考えを共有する必要があります。遠い道のりです。
しかし時間は無限ではありません。終末は刻一刻と近づいています。
まずは今日も一歩進めなければなりません。
それは、あなたが門を叩いてくれることなのです。